真淵を知ろう【第2回】父方・伊場の岡部家

2020年10月07日 | 真淵を知ろう

真淵の父は賀茂神社の神官でした。

賀茂神社
賀茂神社は、文永11年(1274)=蒙古襲来の年に創建されました。
京都上賀茂神社の神職・賀茂師重の長女筑前局が、宮中に長年奉仕した功により、敷智郡岡部郷に500石の封土を賜わり、その地に、京都上賀茂神社の分霊を勧請して創建、局の後裔が山城(京都)から来住し、郷名を姓とし「岡部」を名乗るようになりました。

賀茂神社御祭神 鴨建角身命(かもたけつのみのみこと)
古事記によると神武天皇ご東征の折、八咫烏(ヤタガラス)となって天皇を導いた、といわれています。
真淵にとって賀茂信仰を信ずることは、古い家系を持っている先祖が、肇国の大業に参画しているのだと、自分を励まし、生き方の根源を支えていたのでしょう。(なお、八咫烏は、サッカーでおなじみ。)

真淵を知ろう【第2回】父方・伊場の岡部家

岡部家の系譜
岡部家は、古くから庄屋職であり、神官であって常に村の指導的な立場で、浜松藩の独礼庄屋(藩主に、年頭などに単独にお目見えできる格式)とした名流でした。現在の岡部和弘(賀茂神社及び井伊谷宮宮司)は64代。先代厳夫と共に、戦後の井伊谷宮を今日の姿に成しました。
真淵は、家系を大事にした遠い祖先である勅選歌人賀茂成助(1034~82)にふれ、誇りとしていました。

真淵を知ろう【第2回】父方・伊場の岡部家

「岡部家中興の祖」岡部政定
三方原の戦いの犀ケ崖布橋の軍功で陣刀と具足を拝領、北遠の犬居城攻めの功によって、戦乱で200石に落ちていた領地を500石に戻し加増もあったとされ、真淵は長歌で称えています。

岡部家61代の岡部譲(ゆずる)は伊勢神宮少宮司・熱田神宮宮司等を歴任した文化人・歌人で、岡部家の蔵書等12,000冊余を縣居文庫に寄贈しましたが戦災で焼失してしまいました。

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